終戦の日におもう ー亡き父の言葉とともにー

今日は終戦の日。亡き父が生前、黙祷のサイレンを合図に仏壇に向かって手を合わせ、涙ぐんでいた姿を、小学生だった自分は不思議な気持ちで眺めていました。夏休みのお盆の風景とともに、今も遠い記憶として残っています。

その父が、小学生の私によく言っていた言葉があります。
「戦争は絶対ダメだ。あんなものは何の役にも立たない、悲しいだけだ」
「生きて帰って来たのは俺だけだ。後はみんな亡くなった。だから戦死した仲間の分まで長生きすることが、戦友への供養だ」
(父はスマトラ島で終戦を迎えました)。

あれから81年が経った今も、人間は戦争を止めようとしません。それどころか核兵器さえ持ち出そうとしています。「歴史は繰り返す」と言いますが、繰り返しているのは「人間」です。悲しい想いをどれほど積み重ねても、人間は殺し合いをやめようとしない。愚かなことを懲りずに繰り返すのが人間なのでしょうか。それでも私は、人間はもっと賢くなれるはずだと信じたいのです。

当施設には、戦争の凄まじさを語ってくださる利用者さんがいます。身をもって戦争の悲惨さを体験し、廃墟と化した祖国を立て直し、今の豊かな日本を築いてきた方々です。平和に慣れきってしまった今、この豊かさがあるのは、先人たちの文字通り血のにじむ努力があったからこそです。私たちはその事実を、一時たりとも忘れてはなりません。そして支援にあたるときも、死を覚悟した経験を持つ方々の背景に、静かに思いを馳せる。それが、戦争を知らない世代にできる、せめてもの先人へのリスペクトだと思います。祈・・ (関戸 元彦)

裁判その後 ―主張には「根拠」が不可欠―

7月15日、甲府地方裁判所において第7回口頭弁論期日が開かれました。

現在、裁判所が争点整理案を提示する段階に入り大月市に対しては、処分根拠について釈明を求めており、審理は重要な局面を迎えています。(裁判前から私どもが市に対して主張の根拠を示すよう求めていたように、裁判官も同様に根拠(法令上)を求めている、当たり前ですが)。

私どもの主張の核心は以下のとおりです。

◆ 大月市の処分は、法令上の根拠を欠いた独自解釈(ローカルルール)に基づくものである

◆ 是正指導・勧告等の段階的手続きを一切経ることなく、最も重い「指定取消」処分が行われた

次回期日は令和8年10月1日です。引き続き法廷では正々堂々と事実を明らかにしてまいります。

関係者のみなさまには大変ご心配ご迷惑をお掛けしておりますが、裁判は終結に向けて動き出しました。予想では早ければ来年の春ごろに判決が出されると思われます。

私たちの住む大月市が私たち住民を大切にしてくれる市(当たり前ですが)になるように、しっかりと対応して行きたいと思います。今後も裁判の様子は市の対応ぶりも含めて詳細にお伝えしてまいります。

【村上久美子】介護現場を疲弊させるローカルルール 問われる負担軽減と公平性の担保

介護保険は全国共通の制度だ。各サービスの報酬や運営基準は国が定め、事業者はそれに基づいて事業所を運営している。

しかし現場では、自治体によってルールの解釈や確認方法、提出書類、運営指導での指摘内容などが異なることが多々ある。こうしたいわゆる「ローカルルール」は、介護現場に見えにくい負担を生じさせている。

もっとも、ローカルルールのすべてが必ずしも不合理なものとは限らない。自治体にはそれぞれ、地域の実情に応じて制度を運用する役割がある。利用者の生活環境やサービス資源、地域の状況などを踏まえた対応が必要な場面もあるだろう。

しかし、国のルールの趣旨を超えて独自の解釈や追加的な書類の提出、過度な確認などが求められる場合、往々にして現場には大きな負担が生じてしまう。

実際、NCCUが行ったアンケート調査でもローカルルールについて様々な回答が寄せられている。

たとえば事業所の管理者の兼務。「2職種まで」「3職種まで」「3職種は禁止」といった制限のほか、「勤務時間の半分以上は管理業務」「所定労働時間の70%は管理業務」「管理者とサービス提供責任者の比率は5対5」といった縛りもみられた。

また、「管理者は他の支援に出られない」「看護師としての実働はできない」「管理業務に支障がなければ兼務可能」といったばらつきもみられた。つまり、自治体によってルールがまったく異なっているのが実情だ。このほか、アンケート調査からは、どれが国の定めた全国一律のルールで、どれがローカルルールなのか、現場が判別しにくいという課題があることも分かった。

当然、こうした状況は事業所の運営に影響する。加算の算定や人員配置のやりくりなどで、自治体ごとに求められる資料や判断が違ってくると、事業所はその都度対応を迫られる。複数の自治体で事業を展開する法人ほど負担は大きく、違反などの指摘を避けるために、必要以上に慎重な運用とならざるを得ない場合もある。

現場では人材不足が深刻化しており、限られた職員でサービスの質を維持しなければならない。その中で、自治体ごとに異なる解釈や判断、手続きに対応し続けることは、現場の疲弊をさらに強めかねない。

繰り返すが、問題は自治体が制度を柔軟に運用すること自体ではない。国のルールと自治体の運用との関係が不明確なまま、現場が過度な負担や不安を抱えていることである。ローカルルールが積み重なれば、全国共通の制度であるはずの介護保険に、地域による実質的な差が生じることにもなる。

ローカルルールの問題は、単なる書類の作成や手続きなどの違いにとどまらない。それは制度の公平性、事業運営の安定性、そして職員の業務負担に関わる課題である。

今後の報酬改定・制度改正に向けては、現場が安心してサービスの提供に集中できるよう、国の基準と自治体の運用との関係を明確にし、過度な負担や不合理な差異をなくしていくことが求められている。

(出典 介護ニュース2026年7月9日 UAゼンセン日本介護クラフトユニオン・村上久美子副会長)

「接地」 ー わ・か・る とは ー

年甲斐もなく、バイクに乗りたくなり老体に鞭打って教習所に通っています。このブログが投稿される頃には、ワクワクしながらカブのハンドルを握り、風を切って走っているかもしれませんね(笑)。

バイク免許取得で最大の壁と言われる課題が「一本橋」です。幅30cmの「橋」を低速で渡りきらなければなりません。案の定、私にとっても最大の壁でした。教官から懇切丁寧に、何度も何度も繰り返し指導を受けているにもかかわらず、成功率は2割という厳しい状況が続いています。

たまに成功しても、なかなか後が続きません。頭の中では「ニーグリップで体を安定させ、少し遠くに視線を向け、少し勢いをつけてスタート、半クラッチ、フットブレーキ……」と手順を繰り返しているのですが、わかったつもりでも、いかんせん身体が反応してくれません。それでも、たまに「おっ、これかな」という瞬間があります。そんな時はバイクとの一体感が生まれ、すんなりと渡りきれるのです。

教官の「言葉」がふと腑に落ちたとき、つまり本当の意味で「わかる」瞬間が訪れます。これがいわゆる「接地」というものなのでしょう。ヘレン・ケラーの「water」の逸話と同じです。盲目のヘレンにとって、「水」という言葉を接地させることは大変高いハードルでした。言葉でどれだけ水を説明したところで、彼女の頭の中に一体何が浮かぶのでしょうか。見ることのできない彼女にとって、物質としての「水」を言葉だけでイメージすることなど、到底できなかったはずです。

そこに言葉の限界があります。実際に水のある現場に行き、水そのものを身体で感知することが必要だったのです。しかもそれは、コップの中に静かに湛えられた「水」ではなく、流れのある「水」でなければならなかった。そうです、「現場の水」なのです。

頭の中という狭い世界で、言葉遊びのように「わかった」つもりになる。それはとても危険なことです。現場で額に汗を流して初めて見えてくる、わかってくる、そして腑に落ちる——それが「接地」なのだと思います。

運営推進会議で起きたこと——事実をありのままに記録する

2ヶ月に1度、当施設では「運営推進会議」が開催されています。これは介護保険制度上の規定に基づくもので、事業所が地域に対して運営状況を報告し、地域住民代表・利用者家族・市町村職員等から評価や意見をいただく場です。地域に開かれた対話の場として、制度の根幹をなす会議です。

(残念ながら、昨年の処分公示以来、風評被害の影響からか参加者が大幅に減少しています。これ自体、地域の介護にとって大きな損失だと感じています。)


今回の会議で起きたこと

5月の推進会議において、市の職員がテーブル上に録音機を設置し、「議事録の文字起こしのために録音させていただきます」と述べました。

会議後、私はすぐに地域の他の介護事業所に確認しました。

結果は明確でした。**文字起こしを目的とした録音機の持ち込みは、他の事業所では一切行われていません。**当施設だけが録音されていました。


この事実が問いかけること

同じ制度のもとで運営する事業所に対し、一方だけに異なる取扱いをすることは、行政の基本原則である平等原則(日本国憲法第14条第1項)に照らして問題があります。

また、会議には利用者家族・地域住民の方々も参加されます。参加者全員の同意なく発言が録音されることは、個人情報の保護に関する法律第61条第2項が定める利用目的の明示義務との関係でも疑問が残ります。

さらに、現在当施設と大月市の間では取消訴訟が係争中です。録音がその訴訟と無関係かどうかは確認できていませんが、係争中の相手方に対してのみ行われる録音という事実は、日本国憲法第32条が保障する裁判を受ける権利の観点からも、慎重に考える必要があると感じています。

加えて、運営推進会議は地域との対話の場として設置目的が明確に定められています(指定地域密着型サービスの事業の人員、設備及び運営に関する基準第34条)。その目的の範囲内での録音かどうかも問われるべき点です。


会議の場で感じたこと

今回の会議では、市の職員が4名参加されていました。小規模自治体の推進会議としては異例の人数です(一般的に多くても2名)。

気になったのはその構成です。4名のうち2名は、会議を通じて一言も発言されませんでした。対話の場として機能させるためには、参加者が自由に発言できる雰囲気が前提です。しかし実際の場の空気はそれとは異なるものでした。

自由な発言が生まれない会議は、制度の目的を果たせません。これは当施設と市の関係の問題にとどまらず、運営推進会議という制度そのものの在り方に関わる問題だと思います。


私たちが望むこと

私たちは、大月市や市の職員の方々と敵対したいわけではありません。

行政が誤った判断をしたのであれば、それを正し、同じことが二度と起きないよう仕組みを改善すること——それこそが、地域の信頼を守り、行政と住民が協働するための第一歩だと考えています。

裁判の目的は勝ち負けではなく、何が正しいかを明らかにすることです。その場に関わるすべての人が、その本質に立ち返っていただければと思います。

行政も住民も、目指すべきは同じはずです。地域に暮らす人々が安心して介護を受けられる環境を守ること。その一点において、私たちと大月市の方向は一致しているはずだと、今も信じています。

今後も、事実をありのままに記録し、皆さんにお伝えしていきます。


特定非営利活動法人ラクーダ 代表理事 関戸元彦


【注記】 本記事は現在係争中の訴訟(甲府地方裁判所)に関連する事実を含みます。記載内容は公開情報および当事者として確認した事実に基づいており、特定個人の名誉を傷つける意図はありません。事実関係に誤りがある場合はご指摘ください。

裁判官動く、新たな局面! ー市の判断は本当に正しかったのか???ー

  1. 四コマ漫画風に2バージョンでどうぞ・・
    現在進行中の裁判の様子↓


たとえば、人員基準の市の担当者の考え方こんな感じ↓

これらはすべて認知行動理論で説明可能な典型的な思考パターン(確証バイアス+感情ヒューリスティックに陥ったヒューマンエラーです。初歩的な判断ミスさえ察知できないほどの、市の内部統制の脆弱性が露呈しましたね。

行政も間違うことは人間ですのであります。住民の皆様も自分の町の未来を守るためにもそして、一納税者として市政に関心を持ち、正しく疑問を持ち対話を重ね、過ちを正して住みよい大月市にしていきましょう。豊かな対話のない我が町に明るい未来はあり得ませんから。(関戸 元彦)

君は悪くない ー構造的欠陥ー

どこかのトップリーダーが「部署を刷新した」・・と言ったそうだ。

人を入れ替えただけで問題が改善するなら苦労はない。刷新し変わらなければならないのは「人心」だ。

「刷新」とはビジネス上、人の入れ替えだけで済むものでないことは常識。たとえ、「人」の入れ替えはなくてもマインドセットを整えるための「教育」が不可欠。

新たな年度がスタートして1カ月経過したが、新しい部署や組織の中で目標を見出せず悶々と過ごしている方も少なくないだろう。自分には適性がないのか能力不足なのか。そう自問自答することからチャレンジは始まるものだ。その「自問自答」が肝心。文字通り自分に問うてみる姿勢だ。その姿勢がなければどんな優秀な頭脳でも暴走が始まることは世の常。

自問自答に似た概念で福祉医療の用語に「自己覚知」というキーワードがある。その暴走を食い止める視点が「自己覚知」だ。自分を客観視する意識、メタ認知ともいう。自分は何を意識して、一体何をしようとしているのか。自分の心の中を覗くこと。

どんなに見せかけだけの形を変えてみても、人心は変わることは決してない。そこには「動機付け」を促す「教育」が欠かせない。大それたことでなくてもいいから、「利他」を軸とした内発的な動機が肝要だ。とはいえ、人はもとより自己中心的な生き物。だからこそ強いて利他を意識しなければならない。まともな組織はどこもそのことに気付いている。人を入れ替えただけで解決すると考えるのは思慮に欠けている。

そのことに組織のリーダーが気付いていないのは構造的な問題を生みかねない。直接、間違った判断をしたのは、末端の職員かも知れないが、内部統制のとれている健全な組織であれば未然に防ぐことが可能だ。内部統制が欠落した構造的欠陥が末端の職員を通して問題が顕在化しただけ。問題の本質は言わずもがなだ。

私どもは介護保険という「税金」を原資に運営している。税金という公的資金を使わせていただいている責任はいつも重く感じている。この自覚はこの仕事を始めてからさらに強くなった。自由経済活動ではなく公共事業だ。税金という血税を原資としている自覚はどこかのトップリーダーにはあるのだろうか。

「ご都合主義」 ー信念を貫くにはー

私は当時、熱い思いを胸にして介護事業を起業しました。その思いを引っ提げて8年たった今、自分が残念に思うことそれは、この世の中「ご都合主義」で動いてることが結構多いという事実です。

熱い思いで当たっても冷めた人たちには響きません。それより目先の「ご都合」が優先されます。何が自分にとって「損か得か」。そんな人たちに熱い思いをぶつけても時間の無駄であることが、今回の行政訴訟を通して実感することになりました。

信念を貫こうとすれば、ご都合主義の世界では生きずらくなり、信念は風前の灯火になってしまいかねません。その信念を貫くためにはどんな試練にも怯むことなくその試練を糧とするパワーが不可欠です。信念をもって生きてゆこうとすれば、ご都合主義の壁に必ずぶち当たります。

しかし本物の信念はそのご都合主義の壁を越えていきます。今がまさにその時です。そしてその壁を越えてその先へ進めます。

ご都合主義の世の中でも愚直に信念を貫こうとする人たちが少なからずいます。

そもそもご都合主義が世の中を変えることも楽しくすることもあり得ません。それは自己中の世界観だからです。

あれから1年―何があったのか?―

約1年前、風評の影響により、数名の利用者さんが残念ながら当施設を離れることになりました。
その後の経過を知る中で、私にとって非常に重い事実がありました。

施設を去られた元利用者のうち、およそ7割の方が亡くなられているのです。しかも、その多くが半年以内でした。

医療・福祉の分野ではよく知られていますが、高齢者が長く慣れ親しんだ生活環境から離れ、新しい環境へ移ることによって心身に大きな負担が生じることがあります。これは「リロケーションダメージ(環境移動によるダメージ)」と呼ばれています。

もちろん、すべてを単純に結びつけて考えることはできません。しかし、当施設に残られた利用者さんは、現在のところ誰一人亡くなっていないという事実もあります。

慣れた環境にとどまった方々は皆さんご存命である一方、環境を移られた元利用者の多くが短期間のうちに亡くなられた。この差を前にして、私たちは何を考えるべきなのでしょうか。

医療・福祉の専門家の間では、環境の変化が高齢者に大きな影響を及ぼすことは以前から指摘されています。私自身もその可能性は危惧していましたが、結果として7割という数字を見ることになり、正直なところ想像以上でした。

亡くなられた方々は、当時とてもお元気で、すぐに命に関わるとは思えないほどの状態でした。それだけに、もしあの時状況が違っていたらと、悔しい思いが残ります。

近年、地域コミュニティの希薄化が指摘されて久しくなりました。しかし、高齢者や障がいのある方にとっての「居場所」は、これまで以上に丁寧に考えられるべき大切なテーマだと感じています。

それは決して他人事ではありません。
自分や家族の将来にも関わる問題です。

一人ひとりが少しだけ「自分ごと」として考えることができれば、この地域も、もっと安心して暮らせる場所になっていくのではないでしょうか。

今回の出来事が、私たちに何かを考えるきっかけを与えてくれることを願っています。

模擬裁判ー双方の反論(準備書面)をもとに構成ー

現在まで複数回審理が行われました。今回は、原告側・被告(市)側双方の準備書面(裁判所に提出された公文書ですが公開は差し控えさせて頂きます、必要であればご相談ください)を踏まえ、もし裁判官であればどのような判断に至るかという観点から、友人の法律家と法的論点を整理した私見をまとめてみました。実際の裁判所の判断ではありませんのでご留意ください。

行政処分の適法性、事実認定、処分基準の運用、聴聞手続の在り方など、介護事業の現場にも直結する重要なテーマを扱っています。関心のある方の参考になれば幸いです。

結論(裁判官としての判断)

結論:本件指定取消処分は違法であり、取消す。

理由は以下の4点が決定的です。


判断理由(裁判官としての意見)

1 事実認定に重大な誤りがある(行訴法30条:裁量権の逸脱)

●(1)人員基準違反の認定は不適切

被告は「管理者・計画作成者・介護従事者の兼務」を事実上否定し、原告関戸氏の勤務時間を恣意的に分割している。
しかし、

  • 基準省令は兼務を明確に許容
  • 同一建物内での兼務は全国的に広く認められている
  • 被告は兼務を否定する明確な自治体基準を持っていない
  • 原告の勤務実態(8時間介護従事)は客観資料と整合

以上から、被告の人員基準違反認定は「重要な事実の基礎を欠く」。

●(2)食事量・カロリー計算は医学的根拠を欠く

被告の計算は

  • 利用者の自宅での食事を考慮していない
  • 医学的指標(アルブミン値・血糖値・酸素飽和度等)を一切検討していない
  • 追加食材の存在を無視
  • 1日3食の総量を推計で置き換えている

これは「行政処分の基礎となる事実認定」としては著しく不十分であり、裁量権の逸脱に該当する。

●(3)A氏の体重減少と介護との因果関係が立証されていない

高齢者の衰弱・体重減少は医学的評価が不可欠であるが、被告は医師の意見書も医学的データも提出していない。
行政処分の根拠としては到底足りない。


2 処分基準の処理手順を踏んでいない(裁量権の濫用)

厚労省の「処分基準の考え方の例」は、全国の自治体が採用する実質的な裁量基準である。
その手順は明確で、

  • 運営基準違反 → 標準は「勧告」
  • 人格尊重義務違反(虐待) → 標準は「全部停止3か月」
  • そこから加重・軽減事由を勘案

という段階的判断が求められる。

しかし被告は、

  • 最初から取消処分ありき
  • 勧告・命令・停止という段階的手順を完全に無視
  • 加重・軽減事由の検討をした形跡がない

これは「処分基準の適用を欠く」=裁量権の濫用に該当する。


3 聴聞手続に重大な瑕疵がある(行手法13条・18条・22条)

  • 代理人の参加を妨害
  • 文書閲覧の機会を実質的に奪った
  • 続行申請を不合理に拒否
  • 主宰者が処分庁の職員で中立性を欠く

聴聞は「重大な不利益処分の前提となる憲法上の手続保障」であり、
このような運用は「手続の実質的欠落」と評価され、取消事由となる。


4 比例原則違反(行訴法30条)

  • 利用者の生活の継続性
  • 取消処分による法人・役員の5年間の欠格
  • 地域の介護資源の喪失

これらの不利益に比して、

  • 違反事実の立証は不十分
  • 勧告・停止という段階的手段が存在
  • 取消しという最終手段を選ぶ合理性がない

よって「処分の重さが著しく均衡を欠く」。


最終的な判決文(要旨)


主文

被告が令和○年○月○日付で原告に対して行った指定取消処分を取り消す。


理由(要旨)

  1. 被告の事実認定には、管理者兼務の法的解釈、食事量の評価、A氏の体重減少の因果関係等において、重要な事実の基礎を欠く点が多く、裁量権の逸脱が認められる。
  2. 被告は厚生労働省の処分基準に基づく段階的判断手順を踏まず、いきなり取消処分を選択しており、裁量権の濫用が認められる。
  3. 聴聞手続において代理人参加の妨害、続行申請の不合理な拒否等、重大な手続的瑕疵が存在し、適正手続を欠く。
  4. 取消処分は利用者・法人に過大な不利益を与え、比例原則に反する。

以上より、本件処分は違法であり、取消しを免れない。


裁判官としての付言(判決の最後に書く「意見」)

本件は、行政庁が介護事業者に対して行う監督権限の行使として極めて重大な処分であるにもかかわらず、
事実認定・手続・量定のいずれにおいても慎重さを欠いた事案である。

特に、利用者の生命・身体の安全を守るという行政目的は重要であるが、
その目的を理由に手続保障を軽視することは許されない。

行政庁は、今後、

  • 事実認定の精度
  • 医学的根拠の確保
  • 聴聞手続の適正な運用
  • 処分基準に基づく段階的判断
    を徹底し、
    介護サービスの質の確保と事業者の権利保障の双方を調和させる必要がある。 以上。

★         ★         ★

模擬裁判では上記のような結論に至る蓋然性が極めて明確な事案です。後は行政がどのような姿勢・態度を示すのか注視したいと思います。これは決して他人ごとではありません。住民皆様の行政サービスに直接かかわる一端です、まさにこの町に住むあなた自身のこと。

いよいよ大月市行政の実態が浮き彫りになる局面を迎えます。大月市の理念である「信頼と協働のまちづくり」が口先だけかどうかが如実に表れます。マスコミも注目しております、住民の皆様も自分の住む町の政です。他人事ではありません、「明日は我が身」、自分事です。納税者であるあなたの町の市政に関心を寄せていただければ幸いです。(関戸 元彦)