【村上久美子】介護現場を疲弊させるローカルルール 問われる負担軽減と公平性の担保

介護保険は全国共通の制度だ。各サービスの報酬や運営基準は国が定め、事業者はそれに基づいて事業所を運営している。

しかし現場では、自治体によってルールの解釈や確認方法、提出書類、運営指導での指摘内容などが異なることが多々ある。こうしたいわゆる「ローカルルール」は、介護現場に見えにくい負担を生じさせている。

もっとも、ローカルルールのすべてが必ずしも不合理なものとは限らない。自治体にはそれぞれ、地域の実情に応じて制度を運用する役割がある。利用者の生活環境やサービス資源、地域の状況などを踏まえた対応が必要な場面もあるだろう。

しかし、国のルールの趣旨を超えて独自の解釈や追加的な書類の提出、過度な確認などが求められる場合、往々にして現場には大きな負担が生じてしまう。

実際、NCCUが行ったアンケート調査でもローカルルールについて様々な回答が寄せられている。

たとえば事業所の管理者の兼務。「2職種まで」「3職種まで」「3職種は禁止」といった制限のほか、「勤務時間の半分以上は管理業務」「所定労働時間の70%は管理業務」「管理者とサービス提供責任者の比率は5対5」といった縛りもみられた。

また、「管理者は他の支援に出られない」「看護師としての実働はできない」「管理業務に支障がなければ兼務可能」といったばらつきもみられた。つまり、自治体によってルールがまったく異なっているのが実情だ。このほか、アンケート調査からは、どれが国の定めた全国一律のルールで、どれがローカルルールなのか、現場が判別しにくいという課題があることも分かった。

当然、こうした状況は事業所の運営に影響する。加算の算定や人員配置のやりくりなどで、自治体ごとに求められる資料や判断が違ってくると、事業所はその都度対応を迫られる。複数の自治体で事業を展開する法人ほど負担は大きく、違反などの指摘を避けるために、必要以上に慎重な運用とならざるを得ない場合もある。

現場では人材不足が深刻化しており、限られた職員でサービスの質を維持しなければならない。その中で、自治体ごとに異なる解釈や判断、手続きに対応し続けることは、現場の疲弊をさらに強めかねない。

繰り返すが、問題は自治体が制度を柔軟に運用すること自体ではない。国のルールと自治体の運用との関係が不明確なまま、現場が過度な負担や不安を抱えていることである。ローカルルールが積み重なれば、全国共通の制度であるはずの介護保険に、地域による実質的な差が生じることにもなる。

ローカルルールの問題は、単なる書類の作成や手続きなどの違いにとどまらない。それは制度の公平性、事業運営の安定性、そして職員の業務負担に関わる課題である。

今後の報酬改定・制度改正に向けては、現場が安心してサービスの提供に集中できるよう、国の基準と自治体の運用との関係を明確にし、過度な負担や不合理な差異をなくしていくことが求められている。

(出典 介護ニュース2026年7月9日 UAゼンセン日本介護クラフトユニオン・村上久美子副会長)

「接地」 ー わ・か・る とは ー

年甲斐もなく、バイクに乗りたくなり老体に鞭打って教習所に通っています。このブログが投稿される頃には、ワクワクしながらカブのハンドルを握り、風を切って走っているかもしれませんね(笑)。

バイク免許取得で最大の壁と言われる課題が「一本橋」です。幅30cmの「橋」を低速で渡りきらなければなりません。案の定、私にとっても最大の壁でした。教官から懇切丁寧に、何度も何度も繰り返し指導を受けているにもかかわらず、成功率は2割という厳しい状況が続いています。

たまに成功しても、なかなか後が続きません。頭の中では「ニーグリップで体を安定させ、少し遠くに視線を向け、少し勢いをつけてスタート、半クラッチ、フットブレーキ……」と手順を繰り返しているのですが、わかったつもりでも、いかんせん身体が反応してくれません。それでも、たまに「おっ、これかな」という瞬間があります。そんな時はバイクとの一体感が生まれ、すんなりと渡りきれるのです。

教官の「言葉」がふと腑に落ちたとき、つまり本当の意味で「わかる」瞬間が訪れます。これがいわゆる「接地」というものなのでしょう。ヘレン・ケラーの「water」の逸話と同じです。盲目のヘレンにとって、「水」という言葉を接地させることは大変高いハードルでした。言葉でどれだけ水を説明したところで、彼女の頭の中に一体何が浮かぶのでしょうか。見ることのできない彼女にとって、物質としての「水」を言葉だけでイメージすることなど、到底できなかったはずです。

そこに言葉の限界があります。実際に水のある現場に行き、水そのものを身体で感知することが必要だったのです。しかもそれは、コップの中に静かに湛えられた「水」ではなく、流れのある「水」でなければならなかった。そうです、「現場の水」なのです。

頭の中という狭い世界で、言葉遊びのように「わかった」つもりになる。それはとても危険なことです。現場で額に汗を流して初めて見えてくる、わかってくる、そして腑に落ちる——それが「接地」なのだと思います。