振り返ればいつも「大変な年」

そこそこ人生経験を積んできた自分が今想うと、毎年「大変な年」だったような気がします。大変だったのは今年に限らずいつだってそうだった。その大変大変を繰り返して、何か変化して行くのでしょうかね。どこへ向かって行くのか誰もわからないし、ただ、誰も不幸を目指すものはいないように、大変大変と繰り返しながら蜃気楼のような当てのない「幸せ」を追い求めて壁にぶち当たっては突き放され、悩みの淵に沈む。「幸せ」の尺度がお金なら、それもありでしょうが?。ただ、ひたすら地道に努力を続けて行ける人にしか幸運の女神は微笑まないような気がしています。

今年は「タイパ」(タイムパフォーマンス)が流行りましたね。歌も映画も教養もタイパ、つまり効率優先。自分的にはあり得ないな。「タイパ」がそもそもタイムパフォーマンスの本来の意味を失っている。安直にタイパを求めることで、深い学びを失っている。それこそ決定的な損失なのに、それに少しも気付いていない恐ろしさを感じるわ。

今年も色々ありました、来年もきっと色々あるでしょう。人類は何処へ向かって行くのでしょうか?

拙いブログをお読みいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

みなさまよいお年でありますように……祈

ごあいさつ(12月12日さっちゃんち開所式の挨拶を掲載(YBS取材))

皆さんはじめまして、ご紹介にあずかりました関戸です。本日は開所式にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。

こうして無事、開所式を迎えることができたのも、メットライフ財団さん、日本財団さんのご支援があったからこそであり心より感謝申し上げます。

私は隣にある小規模多機能型居宅介護事業所を運営して来年の3月でちょうど5年の節目を迎えます。その間、この地域にはどんな課題やニーズがあるのか実践を通して見えてくるものがありました。それは、宿泊を含めた入所ニーズと医療系サービスの不足でした。これらの課題やニーズにどう対処するのか、先ずは小多機と相性のいいと思っていた入所施設の併設を考えました。残念ながらこの地域には人里離れた山奥の施設に入るか、それとも慣れ親しんだ故郷から遠く離れたところに入るか、そのくらいの選択肢しかないのが現状です。地元で最期までを望む人生の最終章を迎えた人たちの行く末がまるで集団最終処分場……。選択の余地がない、自分も行きたいと思えない、人生最期がこれか……。そんな思いで始まったのがこのさっちゃんちです。集団ケアからの脱却を目指して、ここでは看取りも行い、終の棲家としても利用できます。これから設置の予定でまだお見せすることができなくて残念ですが、ウッドデッキを設置して昔あった「縁側文化」を採り入れます。地域の人たちが気軽に利用者の様子を伺える仕組みです。わざわざ玄関から入るのではなく、コミュニケーションのハードルを下げる意味で「縁側」を作りそこで茶飲み話で地域とのつながりを育む。子供達には年老いて行く姿を見てもらいたい、死んで行く様子も隠さずオープンにして、核家族化で人の死やボケて行く様子も知らずにいる子供たちに年を取ることの現実をしっかり見てもらいたい。そこで何かを子供なりに感じて「おばあちゃん、おじいちゃん、元気?」とそんな言葉が出てくるかも知れない。

このさっちゃんちはあくまでも、在宅システムの一環です。ここがゴールではありません。在宅を願う人のシステムの1つであり、目指すは「最期まで在宅」です。これから私たちNPOが向かう次のステップは訪問診療の充実です。在宅サービスのラスト1マイルがここです。ここが欠けてると在宅のハードルは一気に上がってしまうのです。ですので、ここを充実させるため数年後には訪問診療を積極的に行うクリニック開設に向けて準備を行っております。

最後にメットライフ生命様からのご厚意でボランティア活動を行っていただるというお話があり、誠にありがとうございます。私たちが望むことは、目の前にいる高齢者は将来の自分たちの姿であること、決して他人事ではないこと、このマインドを持って頂ければと願っております。そのマインドさえあれば十分です。年を取ってよぼよぼになること、しわくちゃになること、ボケボケになること、どんな立派な肩書があってもなくても平等に誰もが行く道です。その真実を忘れないでください。もう一度言います、誰もが確実に行く道、年を取ること、病気なること、そして、死んで行くこと。時間は容赦なく過ぎ去る、そして、すべてを変えて行く。以上です、ありがとうございました。

新型コロナウイルスの啓示?

見通しのつかない新型コロナウイルス、私たち人間はただ怯えるだけの存在なのでしょうか。不謹慎かもしれませんが、これは利益を貪りつくそうとしている愚かな人類への、しっぺ返しだと思っています。地球温暖化など何処吹く風、関係ない、経済成長優先。その行くつく先は何処なのかどうでもよい、今が良ければそれでいい。確かに、経済が重要なのは誰も否定しない、ただ、人間の欲望は底なし。もし、人類が新型コロナウイルスから何か啓示をうける希望をなくしたら人類は破滅に向かうでしょう。きっと、これを「啓示」と受け止め行動へと衝動に駆れている少なからずの善良な人々がいるはずですが、それはたぶん姿形を変えて、これはチャンスとばかりに計算高く抜け目のない企業戦士の姿形になっているかも知れませんがね……

お一人様ですが、何か?

先日、「高齢者向け住宅型ホスピス さっちゃんち」の折り込みチラシを入れました。その見出しに「家にかえろう‼」と、大きく入れましたが入所施設のチラシなのに家に帰ろうは何だか変じゃないの?と思われるかも知れませんね。狙いは在宅であり、入所ニーズを満たすものではなく、あくまでも在宅を支えるためのシステムの一環です。国は既に病院→施設→自宅と高齢者を支える場所を自宅にシフトさせようと懸命で、介護保険サービスには在宅を支える選択肢も案外そろってきています。ただそのような情報を知らないのかケアマネが不勉強なのか、依然として動けなくなったら即、入所という狭い発想しか持ち合わせていない様子、ってか本人主体と言うよりもケアマネありきが実態ですかね。「年寄りを一人にしておくなんて」とお𠮟りをいただくこともしばしばの私どものケアマネジメントですが、介護保険が制度化されて20年以上過ぎて随分と状況は変化してきました。入所しなくてもそれこそ「独居高齢者」でも十分ケアされて在宅を継続されている方は私どもの事業所では珍しくありません。家族や「専門職」の方々の高齢者介護のイメージが「こうでなくては」に縛られて柔軟な「本人主体」にならないのでしょう。

私どもNPOは1つのゴールとして「高度な医療的ケア」を更に推し進めるための取り組みを水面下で始めております。これも在宅を支えるための強力なエンジンです。

自分を突き動かすものは?

諸行無常、色んなことが起きては消え行くのは世の常ですが、コロナウイルスはいつまで続くのでしょうか。なかなか終わりの見えない中でも、少しずつ変化していますね。残るべきものは残り、そして消えて行くものは自然淘汰されるようにいつの間にか消え去っていきます。確かにコロナ禍が引き金になったかも知れませんが、「疾風に勁草を知る」の如くの運命を辿っただけ。これからも、このレベルの「試練」は何回ともなく訪れることでしょう。その時に「勁草」となれるかどうかは、今の自分を突き動かしているものが、一体何なのかもう一度、自分自身に問い掛けてみて、自分の心の声をしっかり逃げずに聞くことからしか始まらないように思います。そして、その心の声が「本物」か「贋作」かを見極める「慧眼」を備えているあなたの「こころの目」が絶対条件です。あなたの目が「節穴」ではない事を願いつつ…。紅葉の美しい季節になりました、あなたの心の目にはどう映り何を感じるのでしょうか?

人生を狂わすもの

関東の、とある自治体に地域包括ケアシステムの草分け的存在で全国的にその名が知られたカリスマ公務員がおりました。私もそのカリスマさんの著作を拝読して勉強させていただいた記憶がございます。それを参考に今の事業を開始したと言ってもいいかも知れません。ところがそのカリスマ公務員さんはそのカリスマ性からか知れませんが異動もなく長年その課に止まり、「慣れが」生じてしまったのでしょう。「魔が差した」のですね、「金銭横領」です。よくある話ですが、「堕落」の一定のパターンにしっかり収まっているのがよくわかります。「慣れる」→「だれる」→「崩れる」 一般の企業、特に金融機関はほぼ3年毎の異動が原則です。「慣れ」、「癒着」の構造を阻止する狙いがあります。人間の「性(さが)」という強力な本能があり、そことの相克がその人の行く末を占う部分です。「管理」可能性は決して高いと言えない難しい「人の性(さが)」。

「人生を狂わすもの」それは「あなた」の中に歴然とあります。確かに他人のせいにしたくなるようなきっかけはありますが、どうするのか行動を決めるのは他でもないあなた自身です。「善」に導かれるか「怒り、絶望、不安」に任せるのか、決めるのはあなた自身の「こころ」だけです。願わくば、「良心」や「志」があなたの「こころ」を占領していて欲しいですね。

認知症新治療薬アデュカヌマブで介護は変わるかも

画期的な認知症治療薬の登場で、介護のミッションである本人主体が改めてクローズアップされ、本人主体から距離を置いていた方々には、考えを改める機会になりそうですね。「認知症で何もわからないから…」「言ってもすぐ忘れるから…」で本人不在のご都合主義は通用しなくなる世界がやって来そうです。在宅の限界と言われている認知症がアデュカヌマブの登場でその在宅限界点は低くなりそうです。そうなると介護業界の勢力図も変化します。どう変化するか、ベクトルは根源的ニーズである「最期まで自宅」に向かうかもですね。

シェアハウス上棟

11日に建設中のシェアハウスの上棟が行われました。「自宅のような自由な空間で高度な医療的ケアを受けることができる環境を目指す」を当面のゴールにしております。ただ、地域のニーズと共に姿や機能を更新していかなければ、その存在意義がありません。地域の中の寄合所、安心できる居場所……どのように変化していくか、5年先、10年先、時代に即して変幻自在でありたいと考えております。

第8波に備えましょう

コロナウイルスのパンデミック第7波で洗礼を受け、感染者の「体温コントロール」が重要で、市販薬もかなり有効であることが経験値としてあります。ただ、感染を防ぐことが第一ですが、第7波で思い知らされたことは、「防ぎようがない」という現実でした。もちろん、感染対策は抜かりなく行いますが、前回のようなオミクロン株の空気感染では手の施しようがありません。むしろ、感染した後のケアをどうするか考えていた方が現実的だと思いますが、いかがなものでしょうか?今度はインフルエンザも流行りそうですね。まったく、気が休まるときはありません。

艱難辛苦汝を玉にす

今日は24節気の「寒露」です。急ピッチで季節が進み冬を思わせるような寒い日も多くなりましたね。

秋の夜長、自分を見つめる時間や静寂さが訪れましたが、皆さまどのようにお過ごしでしょうか?

今年も後半戦、残り3か月、ここまで思う通りに過ごせた方は皆無だと思いますが…。

山あり谷あり、山のてっぺんで有頂天の自分、谷底で闘志を燃やし這い上がる自分。

タイトルの「艱難辛苦 汝を玉にす」 

秋の夜長、この言葉をじっくりかみしめていただければと…。