画期的な認知症治療薬の登場で、介護のミッションである本人主体が改めてクローズアップされ、本人主体から距離を置いていた方々には、考えを改める機会になりそうですね。「認知症で何もわからないから…」「言ってもすぐ忘れるから…」で本人不在のご都合主義は通用しなくなる世界がやって来そうです。在宅の限界と言われている認知症がアデュカヌマブの登場でその在宅限界点は低くなりそうです。そうなると介護業界の勢力図も変化します。どう変化するか、ベクトルは根源的ニーズである「最期まで自宅」に向かうかもですね。
シェアハウス上棟
11日に建設中のシェアハウスの上棟が行われました。「自宅のような自由な空間で高度な医療的ケアを受けることができる環境を目指す」を当面のゴールにしております。ただ、地域のニーズと共に姿や機能を更新していかなければ、その存在意義がありません。地域の中の寄合所、安心できる居場所……どのように変化していくか、5年先、10年先、時代に即して変幻自在でありたいと考えております。
第8波に備えましょう
コロナウイルスのパンデミック第7波で洗礼を受け、感染者の「体温コントロール」が重要で、市販薬もかなり有効であることが経験値としてあります。ただ、感染を防ぐことが第一ですが、第7波で思い知らされたことは、「防ぎようがない」という現実でした。もちろん、感染対策は抜かりなく行いますが、前回のようなオミクロン株の空気感染では手の施しようがありません。むしろ、感染した後のケアをどうするか考えていた方が現実的だと思いますが、いかがなものでしょうか?今度はインフルエンザも流行りそうですね。まったく、気が休まるときはありません。
艱難辛苦汝を玉にす
今日は24節気の「寒露」です。急ピッチで季節が進み冬を思わせるような寒い日も多くなりましたね。
秋の夜長、自分を見つめる時間や静寂さが訪れましたが、皆さまどのようにお過ごしでしょうか?
今年も後半戦、残り3か月、ここまで思う通りに過ごせた方は皆無だと思いますが…。
山あり谷あり、山のてっぺんで有頂天の自分、谷底で闘志を燃やし這い上がる自分。
タイトルの「艱難辛苦 汝を玉にす」
秋の夜長、この言葉をじっくりかみしめていただければと…。
金木犀かおる風
陽が沈むのも早くなり、季節は移ろい、ほんのりとかおる爽やかな風に、秋を感じるこの頃です。夏から秋へ、人間界がとんでもないことをしでかしていても、自然界は宇宙の法則に従って確実に季節を変えて行きますね。残念ながら人間界には自然界のような清流の如き法則はないのでしょうか。相変わらず経済成長だの、GDPだの、消費意欲を駆り立てる話ばかりでもうウンザリです。成長神話に洗脳されてどうかしてませんかね、ホントに。日本に限って言えば十分豊かになっていると思いますが、異口同音に低成長だのボヤいています。必要なのは何かをぶち壊して経済成長するのではなく、安心感じゃないでしょうか。将来が不安、老後が不安…だから貯蓄に走る。高齢化が進む中で高齢者が望むことは経済成長でもGDPでもない。贅沢はいらないから、ご飯が食べれて、排泄もできて、時々ばかっぱなしができればいい。貪欲な資本主義は人類を破滅に導くことに気付いて、新たな価値観の転換を意識し宇宙の法則に身を委ねてみましょう。
先祖返り
高齢者で最期まで自宅で過ごしたい人は、大月市の第8期介護保険事業計画によると約8割(介護施設等に入所したい人が約2割で逆算)というアンケート結果です。ただ、現実には介護施設や病院で最期を迎える方が8割です。既存の介護サービスだけでは在宅を支えるだけの能力はないのだと思いますが、地域の意識もネガティブな醸成がそこかしこに育まれている現実が垣間見れます。例えば、こんなことがありました、ある高齢女性が独居で寝たきりで、それでも「家を守る」そんな気丈な方で、その気持ちを尊重し私どもは最期まで在宅を支えていましたが、第三者からは、「高齢者を一人で自宅に置いておくなんて信じられない、さっさと施設に入所させなさい」と。これがこの地域の感覚なのでしょうか。それが、先のデータにも明らかにギャップとして表れています。本人は最期まで在宅を願っていても、「世間」の価値観は他人事なのです。これから時代が変遷して家よりも施設や病院が本人の大きな選択肢になるかも知れませんが、現在のアンケート結果ではそれを望んでいません。むしろ昭和の時代に先祖返りする方向です。子供のころ自宅で亡くなる、ばあちゃんやじいちゃんを見てきた世代の人たちは、年を取ること、人はボケる事、そして死んで行くことがどんなことか、何となく分かっていました。核家族化が進み、年を取ることも、認知症も、死ぬことも別世界のことのように見えてしまう今の子供たち。人生最期を大量生産のように扱われて葬られてしまう大切なその人の人生。なんだかおかしくないですか? 自宅で最期までを望むならそれが可能な世の中にする努力をすればいい。果たして第8期介護計画はそうなっているのだろうか。
稲盛和夫さんを偲ぶ
「経営には哲学が必要だ」まだ、経営者として駆け出しのころ、何かの書籍で稲盛さんの言葉に触れ、衝撃的にな感銘を受けたことを昨日のように思い出します。この言葉に出会わなかったら、今頃はなんの哲学も理念も持たない、ただ利益を追うだけのつまらない経営者もどきに甘んじていたことでしょう。稲盛さんが主宰していた盛和塾に参加する機会を永遠に失われてしまったことは、とても残念です。いつかはお会いしたいと思っていた方のお一人ですですから。もうお会いすることは叶いませんが、稲盛流経営哲学は自分の血肉にする姿勢で学び続けます。「動機善なりや、私心なかりしか」……ご冥福をお祈りいたします。
冷凍食品はマズイ?
一昔前の冷凍食品は確かに美味しくなかったですね。でも、今の冷凍食品は本当に美味しいです。食品メーカーも考えますよね、コロナ禍で在宅勤務が増えれば外食の機会は減って「内食」へ向かうのが自然。なので、どの食品メーカーも競って冷凍食品開発にしのぎを削っています。その結果、冷凍食品の品質は格段に上がり美味しくなりましたね。実は当施設でも冷凍食品は開設当初から提供しております。試食を重ねて現在の事業者に決定しましたが、そもそも、スタッフを調理係にして調理作業をしてもらうつもりは初めからありませんでした。それは、以前施設内で調理している施設を見学した時に調理担当者ごとに味がバラバラで、衛生状態も気になっていたからです。冷凍食品メーカーも高齢者に特化したところが多くあり、管理栄養士監修は当たり前で栄養バランス、塩分、味付け、柔らか食など…これを自分で作るのは無理ですし時間のムダですね。世の中は本当に便利になりました。冷凍食品がいまいちだった時代を知っている方はその偏見を捨てて是非、冷凍食品を試してみてください、きっと隔世の感を覚えると思います。
いつもの風景
吹き荒れたコロナウイルスがひと段落して、いつもの風景が戻ってきました。当たり前の日々が当たり前に繰り返される世の中ではなくなりつつありますね。この以前のいつもの風景を見られることはとても有難いこと。でも、そのことに気付くためには、凡人の身には気付かされる何かが必要なのかもしれませんね。災害のシーズンもやって来ました「天災は忘れたころに…」ってあります。いつも心していないと後で気付かされたでは手遅れになり兼ねませんね。
シェアハウス着工
12月上旬竣工を目指して26日に着工しました。住み慣れた地域で最期まで暮らせることを叶えるためです。確かに、選ばなければ人里離れた山の中に行くと入所施設はあります。中にはひっそりと静かな山の中で最期を迎えたい方もいると思います。でも、自分は最期までわがまま放題、ボケてきたらみんなに迷惑いっぱいかけてやりたい放題…それでも最後に息を引き取るときはみんなに「ありがとう」って言って死んで行きたいな。そんな居場所プログラム(日本財団×メットライフ財団支援)、いよいよスタートです。