初めての「サイバン」—法律は美しい—

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いよいよ裁判が始まりました。初めての経験ですが、見識のある人からすれば勝敗はすでに見えてしまっています。それほど福祉行政側の処分内容が杜撰を極めているということです。

審理が確定したとき、福祉行政(処分当時)の実態が白日の下に晒され、今度こそマスコミは真実を報道することになるでしょう。まだ審理はしばらく続きますが、まともな人間なら検証を待つまでもなく既に結果が見えております。

さて裁判の様子ですが、まず「準備書面」を被告、原告とも両者が裁判所に提出します。これは被告、原告の言い分が記載されている書面です。それぞれの主張に反論を順次繰り返されます。今までの印象として、論証が科学的でとても美しいということです。演繹的、帰納法的論証は人間の感情を超越した神秘的な感動を呼ぶ美しさです。この美しい法律のフィルターを潜り抜けた珠玉の言葉たちが積み重なって、やがて人が人として守らなければならない金科玉条へと導かれるのでしょう。ですので、書面の中にいるぼやけた言葉たちは行き場を失って自滅の道をたどるしか方法はありません。

あらためて「法」って何だろうと考えさせられました。私が学生の頃、法律(憲法)を意識するような日常はよくない、と教授が言っていたことを思い出しました。確かに、何かトラブルがないと法を意識することはありませんよね。そういう意味で教授が言ったのでしょう。しかし現状、ことが起きてしまったからには法を意識しないわけにはいけませんね。法は結局「人としてどうあるべきか」が問われているのだと大学時代の記憶がよみがえりました。すごく哲学的なのです。

裁判はしばらく続きますが、既述したようにおおよその目安はついてきました。やはりというか当然というべきか、「人としてどうなの?」そう言った姿勢・態度が浮き彫りになりつつあります。動機が不純であれば法は必ずそれを見透かします。「天網恢恢疎にして漏らさず」でしょう。

初めての「サイバン」—法律は美しい—」への2件のフィードバック

  1. いつもお世話になっております。

    行政の許可が必要な事柄が
    行政(窓口担当者)の対応&態度で、進捗状況が大きく変わるのは、少し違うし市民としても困りますね。

    私の肌感覚ですが、全国的にも介護保険の請求に関しての報道も増えているようにも感じます。
    不正の報道はありますが、不正ではありませんでした!の報道は、ほぼ無いですね。

    大変だと思いますが、裁判に注目させて頂いています。
    応援しています!

    ※新しい事にチャレンジしている姿勢などリスペクトしていますので、コメントさせて頂きました!

    • 平本さん コメントいただきましてありがとうございます。

      そうですよね。行政の窓口担当者によって対応がコロコロ変わるようでは住民側は安心できませんね。地方分権化が進んでご都合主義のローカルルールが邪魔をするようになっていたるところで問題を起こしている現状があります。もっと小さな政府を目指さないと、公権力を振りかざして一般市民には弊害が生じます。特に地方に行けばその傾向が強いように思えます。住民がモノを言わないのでしょうね。「民主主義」ではなく専制君主制かと勘違いしそうな有様です。

      確かに悪質な介護事業者はおります。たとえば、架空の人員や架空請求ですね。これは意図した不正、つまり不正と知りながら行っているので「悪質」であり当然、重い処分です。指定取り消しの事例を見るとほとんどがうっかりミスではなくこのような「意図した不正」です。判例の9割はこの類の不正です。残り1割が単なるミスか行政側によるものです。私どもの場合は行政側の杜撰な監査と考えられます。まだ審理を待たなければなりませんが、「準備書面」でそう判断できます。なぜこうなるのか、制度の理解不足、専門性の低さ、公務員という保護された立場に安住する気の緩みなどで行き過ぎた判断をしてしまうのだと考えます。

      地方の行政も人口減少の中で、変化を遂げていかないと生き残れないでしょう。そろそろ近隣の市町村と合併の具体的な話も進めて、住民目線の自治体を構築していくべきでしょう。公務員の立場にあぐらをかいているような姿勢ではこの先が思いやられます。

      平本さんお互い頑張りましょう!
      引き続きよろしくお願いいたします。

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