
いよいよ裁判が始まりました。初めての経験ですが、見識のある人からすれば勝敗はすでに見えてしまっています。それほど福祉行政側の処分内容が杜撰を極めているということです。
審理が確定したとき、福祉行政(処分当時)の実態が白日の下に晒され、今度こそマスコミは真実を報道することになるでしょう。まだ審理はしばらく続きますが、まともな人間なら検証を待つまでもなく既に結果が見えております。
さて裁判の様子ですが、まず「準備書面」を被告、原告とも両者が裁判所に提出します。これは被告、原告の言い分が記載されている書面です。それぞれの主張に反論を順次繰り返されます。今までの印象として、論証が科学的でとても美しいということです。演繹的、帰納法的論証は人間の感情を超越した神秘的な感動を呼ぶ美しさです。この美しい法律のフィルターを潜り抜けた珠玉の言葉たちが積み重なって、やがて人が人として守らなければならない金科玉条へと導かれるのでしょう。ですので、書面の中にいるぼやけた言葉たちは行き場を失って自滅の道をたどるしか方法はありません。
あらためて「法」って何だろうと考えさせられました。私が学生の頃、法律(憲法)を意識するような日常はよくない、と教授が言っていたことを思い出しました。確かに、何かトラブルがないと法を意識することはありませんよね。そういう意味で教授が言ったのでしょう。しかし現状、ことが起きてしまったからには法を意識しないわけにはいけませんね。法は結局「人としてどうあるべきか」が問われているのだと大学時代の記憶がよみがえりました。すごく哲学的なのです。
裁判はしばらく続きますが、既述したようにおおよその目安はついてきました。やはりというか当然というべきか、「人としてどうなの?」そう言った姿勢・態度が浮き彫りになりつつあります。動機が不純であれば法は必ずそれを見透かします。「天網恢恢疎にして漏らさず」でしょう。
