リスクを許容しないパターナリズムの介護

コロナ前のことですが、ヨーロッパの高齢者の住まいを視察した研究者のお話しを伺ったことがあります。その話の中で一人の研究者がこう話されました、「最も印象的であったのは、高齢者の自立して暮らす意欲や覚悟でした。一定のリスクを許容し、人生の主体であることを決して手放さない態度、でした。」と。
翻って日本ではどうでしょうか、この地域で感じることは一定のリスクさえとろうとはせず「安全安心」が最優先され、少しでもリスクを感じると大事になってしまう狭量な社会風土がありませんか。この頑なまでの考え方が、高齢者の生きづらさにつながっているように思えてなりません。そのことが世界に比べて高齢者の欝や自殺者の多さが際立つ要因になっていることは否めないと思いますがいかがでしょうか?

参考文献 日本老年医学会 高齢者の自殺(2012)

 

 

 

←スタッフによる恒例のクリスマス演奏会が行われました。(12月25日)

死刑執行100%(寿命)

今年も残り僅かになりましたね。やり残したことはありますか? 年初めに計画したことはやり遂げましたでしょうか? 自分を含めてうなずく人は稀でしょうか。今年こそはとスタートした今年ももう最終コーナーです。後れを取り戻すには時間切れタイムオーバーですよ。

歳や時間を感じるタイミングは誕生日だったり、年末年始のこの時期でしょうかね。高齢の利用者さんが無事、新年を迎えられることの喜びはひとしおです。百歳近いお年寄りにとって、一日一日の命をつなげることがどれだけ大変なことか、この世界に入ってきて初めて分かったことです。明日にはもうないかも知れない命、毎日が死刑執行日の感覚です。この人にもう会えないかも知れない。いろんなことを話して教えてくれたこの人にもう会えない。そんな経験をこの仕事を通して幾度もしてきました。寿命という「死刑執行」、高齢者だけのことではなく自分も家族もみんな同じです。「無期懲役」であったなら、いつか会えるし、変えられる。でも死刑執行は空しいです。