仏教の教えに「三毒」がある。貪欲、怒り、無知だ。「貪欲」介護の世界でもこの三毒には悩まされる。自己の利益に拘泥するあまり他人の利益を搾取する。たとえば、介護を必要としている人たちに最適なサービスを提供しようとしても、自分の利益を優先してしまうケアマネさんは少なからず存在する。そんなケアマネさんにつかまったら災難だ。「怒り」仏様ではない限り人は感情にまかせて道理を踏み外してしまうこともある。ただ、その怒りを感じつつも自制できる人もいる。多分、感情に振り回されて過去に大きな痛手を経験して「成長」し、今の一角の人物になったのだろうかと想像せずにはいられない自分が情けない。「無知」教養の欠如した状態といえるかも知れない。決して知識量ではないのは言うまでもない。無知は、はた迷惑でもある。知ったかぶりをして口先三寸である。無知が専門家ずらしてのたまう姿は見られたものではない。この無知な人が公権力を笠に持論を通そうとするとどうなるか。迷惑な上に実害が生じる。困ったものだ。「三毒」に侵されたくなければ人知れず努力する姿勢が欠かせない。
失敗を許さない社会はどうなるのか?
神経症な人がいます。心配事が小さい心を占領し、ノイローゼ気味で体調を崩してしまいました。心配で食事ものどを通らない、だんだん痩せてきました。こうなったのは、自分のせいではなく、誰かのせいだと。
ある程度、人生を生きてこられた人にとって、この世の中にこれが絶対正解だということはないということは了解されていると思われます。時代と共に価値観やルールが目まぐるしく変化するのが世の常です。
一体何が「正解」なのか、それは「人」を相手に考えると、あらぬ感情に揺さぶられて判断を誤ります。なので「人」ではなく「天」を相手にすることで、すっきり閃くものが光のように見えてくるように思えます。それは「天明」かも知れません。
混沌とした世の中にあって、これが正解ですと胸を張って言えることってほんの僅かでしかないでしょう。
先の神経症の人は「失敗を許さない」タイプなのかも知れません。
相変わらず、日本は自殺大国です(先進国で第一位、厚労省2018年)
いつか君も必ず死ぬ
店頭から米が消えたと大騒ぎ、かなり昔のオイルショック時代を知っている50代以降の方は、またかという既視感がありますよね。なので、要らぬ恐怖感に襲われて買いだめに走る愚かさを経験している人たちにとっては、「なんでそんなに大騒ぎしなさんの?」でしょうか?
なんでかマスコミもまくしたてるような報道の在り方。みなさまも扇動されるような噂や報道には踊らされないように心しましょう。
タイトルに「いつか君も必ず死ぬ」としました。この米が店頭から消える騒動を見て、このタイトルを思いつきました。
もし自分がガンで余命宣告され後1年の命ですよと言われたら、何を考え、どう行動するのでしょう? つまり、「自分の死を見つめながら生きる」・・この感覚をもって生きていると何が大切なのか混沌とした世間を前にしながらも、クリアな大切なものが浮き彫りになるのではと僕は思いますが。もし、自分が明日死ぬとしたら、米騒動で大切な一日を終わらせるようなことはしないはずです。
そんな目で見ると「どうでもいいこと」にすぎませんか? この地上から米が永遠に消え去ることはありませんし、それに代わるものを食べればいいわけですよね。心配し過ぎ、その時間がもったいないですよね。
「いつか君も必ず死ぬ」・・明日かも知れない。大切なことは何か、この死を見つめながら生きることで見えてくると思います。
ご無沙汰しております
いろいろありまして、ブロブの更新は後回しになってしまいました。
相変わらず暑いですね。温暖化というより、むしろ熱帯化といった方がいいくらいの猛暑の連続ですね。今日も気温40℃に迫ろうとしています。
地球は怒っているのかも知れませんよ。人類が誕生して約40万年と言われていますが、その間、人類は技術を開発して、さまざまなモノを生産してきました。それは地球という資源を利用してです。言い方を変えれば、40万年の間、ひたすら人類は地球という資源から搾取し続けて来たといえますね。
地球人の私たちは、この温暖化の原因が何であるかもう気付いています。行き過ぎた経済至上主義、大量生産-大量消費の時代に、もう終止符を打たなければ人類は破滅に向かうだろうことは誰もが気付いています。
ただ、なかなかそれを止められないし、やめられない。一度知ってしまった蜜の味は忘れがたいのでしょうか。
でも、行き過ぎた経済至上主義にブレーキを踏まなければ事態は悪化するだけです。
だから、私たちにできることから始めましょう。たとえば、一年中エアコンを付けているのであれば、季節のいい日は窓を開け放つとか車のエアコンも同様にすれば省エネになるでしょう。つまり、一人ひとりが気を付ければ大きな力になるものです。企業任せではなく、一人ひとりが取り組むことで温暖化に歯止めがかかるでしょう。
人生、不安だらけで当り前!
安定を求めてかえって不安定になっている、そんな人たちがいっぱいおりますね。
安定なんて幻想なのに、例えば、求めていたものに満たされて一旦は「安心」する、でも、再び不安になる。
心が満たされるのは束の間なのですよね。次から次へと不安はやって来てあなたを悩みの淵に追いやります。
これが生きていることの証なのに、そのことに気付かず、不安のサイクルを永遠に繰り返す。
徒に「安定」を求めることは、不安を呼び込むだけですよね。
「人生は、不安やプレッシャーがあって当り前」そう思えたら楽になるのになぁ・・と自分に言い聞かせていますが。
幻想
人は誰でも間違いなく老いていく…普通に考えれば誰でも、そこに思いが至ると思っていますが、現場でいろんな人と関わっていると、そうでもなく、いつまでも元気な幻想に取りつかれたまま、自分や自分の親を見ている現実があります。
習慣というか、現状維持バイアスというのか、「こんなはずではない」この幻が脳裏から離れず現状とのギャップに右往左往している方々が少なからずおります。
ホームページのエントランスに記載もありますが、死は間違いなく訪れます。人それぞれのプロセスを経て人生に終止符を打ちます。
いつか必ず訪れる死、その覚悟をもって介護やあなたの大切な親を見守ってください。その時がやって来ても、あたふたしないよう、そんな「達観」は欠かせないと思います。
三途の川を渡るとき、すべての人は、財産も地位も名誉も何もかもすべて、現世に捨てて行くのですよ。ただ、一つだけ持っていけるものがありますね、それは、「美しい心」。 諸行無常
スタッフによるライブ
先日、スタッフによるライブ演奏が行われました。加山雄三やアリス(谷村新司)など昭和の懐メロを中心に1時間ほど。「生の演奏は初めてだ」、「頭にしっかり記憶しておくよ」、「感動した」など 、生演奏を楽しまれたご様子でした。次回をまた、お楽しみに!
期間限定
子連れ孫連れ勤務のスタッフがおります。その3歳の女の子は、みんなのアイドルでその子がいるだけで、その場が和みます。小さい子の不思議なパワーですね。
最近はスタッフの真似をして利用者さんが施設に到着すると玄関にお迎えに出て、小さな手で上履きをキチンと揃え、スタッフと一緒に車いすを押したりします。
1年前よりも大分成長しましたね。お気に入りのおじちゃんおばあちゃんの所へは頻繁に遊びに行きますが、そうでない利用者さんにはキチンと距離を置くことも学びましたね。
泣いたり笑ったり、そのすべてが愛らしかった。私も随分、忘れかけていた癒しをいただきました。ありがとうね。
もう直ぐここを卒業していなくなっちゃうけど、ここにいて、あなたのママの懸命に働く後ろ姿を、ずっと見ていたこと、大人になっても忘れないでいてね。
誤診 医者余り?
まだ朝晩は冷えますが、春の日差しがまぶしい季節になりましたね。春の訪れと共に悩ましいのは花粉症です。国民病と言われるほど多くの方が、この時期になると大変辛い思いをしますね。私もその一人だったのですが、実は誤診があって20年も鼻炎に悩まされ続けてきました。今は、適切な治療薬で軽い症状で納まっていますが、誤診の20年間、鼻詰まりのない日は数えるほどしかありませんでした。
実は花粉症ではなくて、蓄膿症が本症なのに、花粉症の治療薬を長年、処方され続けていて症状は改善するどころか悪化の一途でした。医師の誤診に私は過去にもあり、危うく失明するところでした。
高校生の頃です、目がかすむので近くの眼科に診てもらったのですが、単なる「流行り目」という診断でなにかの目薬を処方されただけでした。ところが、増々症状は悪化し、視界にもやがかかったようになってきて、母親がこれはおかしいと心配したのでしょう、都内の眼科の権威と言われた都立病院へ真冬の雪降る中、僕を連れ出しました。そこでの診断は「緑内障」、このまま放っておくと失明しますよ、と。賢明な母とその名医のお陰で失明は逃れ現在に至っております。
数年後には医師余りが指摘されております。優秀な受験生は医師を選択しなくなるかも知れません。供給過剰は熾烈な競争を生むのが経済原則、医師の質を担保するものは何になるのでしょうか。ただ、どんな時代になっても真実を見極める責任は私たち自身なのですよね。そのためにはどうするか?
初短歌😃💦 by AI.
庁舎整備 市民の声聞かず 無駄遣い
新庁舎は 必要なのかと 問いたい
市役所は 市民のために あるのか
税金で 自分たちの 楽しみか
関戸より※
※実はこれ、生成AIが作成したものです。
結構、辛辣な歌になってますが、僕よりはるかに頭脳明晰なAIはこう思っているのかなぁ~